街角


    ハルピン
中国東北部,黒竜江省の省都ハルピンの駅前.客待ちのタクシーはノックダウン生産の ダイハツシャレード.人口300万.とにかく人であふれ返っている.ハルピンは中心部は すでに近代都市の風情.しかし,建設中のビルを見るとどれもれんが作りである.鉄筋は れんがを柱状に組んだ部分にちょろちょろっと入っているだけ.壁は煉瓦だけで組んで ある.高層ビルも同じ造り.
 

    露店
ハルピン市内で見かけた魚の露天商.フナが主で,そのほかソウギョ,ハクレン,カワヒラ 類など.ソウギョやハクレンは中国南部,揚子江流域で珍重され,東北部では下魚とのこ と.代わってコイが珍重され,フナはさらに高級魚の由.私も同意見だ.フナには奥深い味 がある.
 

    中国の列車
ハルピン駅で見かけた中国の機関車.この列車に乗ってチチハルへ向かう.
 

    チチハル
ハルピンから北西に150キロ,列車で3時間でチチハルに着く.正面右奥のホテルに泊まる. これもたぶんれんが作り.最上階は展望レストランになっており,ゆっくり回転する.夜景を 見ながらのお食事というわけ.が,チチハル駅の方を向いていると照明やネオンがきれいな 夜景が見えるが,反対側は真っ暗.10軒に1つぐらい裸電球がともっているといった感じ. ところがこれでも,光害とエネルギーの浪費を戒める広告などで最近よく見かける,人工衛 星から見た地球の写真を見ると,中国も東北部を含む全土で結構明るいのだ.ということは, 日本の夜の明るさはただ事ではない.
 

    Vladivostok in 1998
ロシア沿海州の州都,ウラジオストック.98年のルーブル危機の直後に訪れた.東欧や ロシアの街の風景は,写真で見ると西ヨーロッパのちょっと古い歴史のある街とあまり変 わらないように見える.しかし,実際にそこへ行くと違いがよくわかる.それは音と臭いで ある.騒音も排気ガスもひどい.
 

    Vladivostok in 2008
ちょうど10年後,2008年秋に再び訪れた.同じ場所の写真.建物は変わらないが,看板 が増えた.車も3倍ぐらいに増えた感じがする.そのかわり,トラムはほとんど走っていな い.走っている車は日本車ばかりである.多分中古車だが,かなり新しい.日本車が増え たせいか,騒音と排気ガスはほとんど感じなくなった.しかし渋滞と路上駐車がひどい.バ スは韓国製の中古ばかり.日本のバスがここの市場に入れないのは,右側通行で,ドア が右側にないといけないから.
 

    にゃんこ
ウラジオストックの街角で出会ったネコ.大阪では1家に1台たこ焼き器があるように, ロシア人は1家に1匹ネコを飼っているというが,外で見かけるのはそんなに多くない. このネコはとても人なつっこい.
 

    Air Koryo IL-18 P-835 2008年9月18日撮影
ウラジオストック空港で見かけた高麗航空の機体.イリューシン18という60年代のもの らしい.2008年9月18日撮影.
 

    Air Koryo IL-18 P-835 2008年9月18日撮影
もう1枚,帰国便に乗り込む直前に撮影.
 

    レチノイヴァクザール
モスクワの街はずれにあるレチノイヴァクザール.モスクワシェレメチェヴォ第2空港と 市内を結ぶリムジンバスターミナルがある.メトロのターミナルでもある.地上にはバザ ールができている.アラブ系の店員が多い.
 

    赤の広場
モスクワ赤の広場.中央にレーニン廟が見える.ここへ来るまでは,赤の広場というの は共産政権になってから赤旗にちなんで付いた名前だと思っていた.しかし,この名前 は帝政ロシア時代からのものだという.ロシア人は赤い色が好きだ.そして赤イコール 美しいということでもあるという.そういうわけで,赤の広場は美しい広場といった意味な のだという.
 

    マネージ広場
マネージ広場.赤の広場と続きになっている.連邦崩壊時の争乱では,保守派勢力に 赤の広場が占拠され,民主派はそこで気勢を上げられなかったので,もっぱらマネージ 広場で民主派の集会が行われた.右側の建物は国立歴史博物館,左側は旧レーニン 中央博物館.手前に何やらスロープのようなものがあり,地下へ続いている.そこを降 りていくと...
 

    アンダーグラウンドシティー
マネージ広場の地下はできたてぴっかぴかの,西側でも滅多になさそうな最高級一大 地下ショッピングモールになっていた.3層ぐらいの造りで中央に大きな吹き抜けがあ る.明るいっ,空気がきれいっ,臭わないっ,静かっ,エスカレータは音がしないっ.しか し人がいない.がらがらである.何でもかんでも高そうだ.小じゃれたカフェテリアでピロ ジュクとコーヒーを頼んだら5ドル.コールスローサラダをつけたら8ドル.モスクワ大の 助教授クラスの月給(研究費込み)が100ドル(3割は遅配か欠配).そら誰も来ません わ.ブティークの前には必ず肩の張った背広を着たターミネータみたいなオニイサンが いる.いつも仲間とケータイで連絡を取り合っている.脇の下から横腹のあたりがもっこ りふくらんでいる.こわくて写真に撮り損ねた.
 

    イタル・タス通信本社
ボルシャヤニキーツカヤ通りにあるイタル・タス通信本社.
 

    キエフスカヤ駅
メトロのキエフスカヤ駅のホームにある豪華な彫刻と壁画.ロシアに来てすばらしいと 思ったのはこれ.ロシアのメトロはどこでも昔の東急池上線か阪堺電車かという車両 (ただしかなり幅広で大型である)が1〜2分おきにどんどん来る.それでも立っている 人が多い.とても便利だがメンテナンスはちゃんとしてるのか若干心配になる.
 

    事故
モスクワの道路事情はいいんだか悪いんだか... 片側3車線ぐらいの道路が縦横に 走っているが,運転も荒っぽいので,しょっちゅう接触事故がおきているようだ.そうい えば20年ぐらい昔の日本も結構あちこちへこんだ車がたくさん走っていたが,最近は 本当に少なくなった.
 

    ズヴェニゴロド
モスクワ郊外のズヴェニゴロドのはずれの村.ここに知人はダーチャ(セカンドハウス) を持っている.
 

    ダーチャ
カーシャとヴィクトルのダーチャ.れんが造りのかなり大きな家だ.結構しゃれた造りを している.庭には畑があり,ある程度野菜の自給ができる.土地は村の住民が知人の 職場に寄付をして,それを職場からなんとタダで譲り受けたのだという.もっとおどろい たことに,そこら辺の畑や森を指さして,あのあたりの土地には持ち主がいないのだと 言う.にわかには信じがたいが,ロシア人の土地に対する感覚は日本人とは全く違うと いうことだけはわかった.
ダーチャの外形だけは大工にたててもらい,あとは材木などの資材をまたまた村人に 寄付してもらい,3年がかりでだいたい完成というところにまで作り上げた.内装はまだ ベニヤがむき出しの所もあるが,とうてい素人の日曜大工だとは思えない.ダーチャを 建てている3年間,ヴィクトルはほとんど職場へは行っていない.電気も水道も止まっ ているし,給料だってまともに支払われないから,行ったって仕方がない由.ほかの職 員もほとんど出勤していないという.村にもダーチャにも一応電気は来ているようなのだ が,ほとんどの部屋に電灯がない.昼間はなかなかおもむきのあるダーチャだと思った が,夜,寝室で一人でベッドに入ると大の大人でもものすごく心細い.それにわびしい. 夜中にトイレに起きても鼻をつまんでもわからない真っ暗闇.水道? 来てるわけない. しかし,すぐ近くに質のいい水の出る井戸があった.あとは雨水をためて水洗トイレの 水源にしている.

昼間よもやま話をしていて,ポーランドから来たアリツィアがふいに「共産主義の本質っ てわかる?」と聞いた.
「極端な官僚主義と統制と,,,」なんて適当に答える私.
「いいえ,それはね,,,You cannot speak freely...」と言いかけると 「TO YOUR NEIGHBORS!」と両隣のカーシャとチェコ人のヴェラも声をそろえ,互いに うなづきあった.そして私のことはほっといて3人で突然ロシア語と英語混じりでひとしき りその話で盛り上がった.ソファに3人並んで深々と腰掛け,話しながら足をぷらんぷら んさせている.自由に話せる今を本当にエンジョイしているようだった.
 

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